北里柴三郎さんを調べてみると
何やら野口英世さん(のぐちひでよ)とか森鴎外(もりおうがい)さんとか
ノーベル賞ってキーワードが出てくるでは有りませんか!!
果たして
この北里柴三郎さんとどんな風に関係しているんでしょうか?
今回は
これを詳しく調べてみたいと思います!
では、早速行ってみましょう!
北里柴三郎と野口英世の関係性は?
北里柴三郎の元で学んだ野口英世さんなんで師弟関係と言えるところでしょうか。
野口英世さんは、北里柴三郎さんの研究所に助手として入りました。
のちに野口英世さんもさまざまな功績を残しました。
やはりそれの元となっているのは北里柴三郎さんから学んだ経験が活かされていたのもまちがいないでしょう!
なんでも研究のこととなるとついカーッとなってしまう北里柴三郎さんを、
弟子たちは「ドンネル先生」、ドイツ語で雷(かみなり)おやじとよんでたみたいで
多分、野口英世さんも仲間の弟子たちと
『ドンネル先生がまたカミナリ落としてるわ!ww』
とか言って
みんなで面白がってたのかもしれませんね‼︎
そんな
ドンネル先生こと北里柴三郎さんは細菌学の父とまで呼ばれて世界的にも有名だし
いろんなすごい功績を残されてるのに
なぜノーベル賞を取れなかったのでしょうか?
ノーベル賞を取れなかった3つの理由!?
1.
連名での論文発表で北里柴三郎さんは補助的なパートナー扱いにされてしまった
2.
当時、そもそも共同受賞というシステムがなかった
3.
有色人種・アジア人への偏見がひどかった
この3つの理由が北里柴三郎さんのノーベル賞を取れなかった理由の有力候補です。
確定ではないから他にも色々あるかもしれません。
なんでも
元々、血清療法を確立していた北里柴三郎さんは、ベーリングさんの協力者として連名で論文を発表し、第1回ノーベル生理学・医学賞の候補者なったようです。
しかし、実際に受賞したのはベーリングさんだけでした。
でも、相方のベーリングさんは受賞後に、「全ては北里のおかげ」とも話してたから
北里柴三郎さんの功績は世界に知られるようになって
なんだかイイだか悪いんだかわからない微妙なエピソードですね。
本来なら北里柴三郎さんがノーベル賞を取っておかしくないからホント日本人としては残念です。
第1回ノーベル賞が日本人受賞ならすごく素敵だったと思いますが
過ぎてしまったことだからしょうがないですね。
まぁ、
世界に北里柴三郎さんの凄さは伝わったんで良かったんだと思います。
北里柴三郎と森鴎外の関係は?
この2人の関係は簡単に言うとドイツ留学の先輩後輩。
森鴎外さんは陸軍で先輩。
北里柴三郎さんは内務省の留学生で歳は森鷗外さんより上だが後輩。
森鴎外さんは留学時まだ22歳でしたが、当時最年少(19歳)で東大医学部を卒業した超エリートで、
しかも後に軍医としての最高位、陸軍軍医総監の座にのぼりつめ、陸軍省医務局長の椅子につくほどまで偉くなります。
森鷗外さんってそんなすごい人だったんだ~って調べながら思いました。
なんか詩人とか作家のイメージが強かったので医者だったんだ!!
へぇ~!!って感じです。
まぁ、わたしの意見は置いといて・・・
なんでも、森鷗外さんは
脚気beri-beriの細菌説にこだわりすぎて、日清戦争と日露戦争において脚気の予防に役立つ麦飯の支給を拒み続けたことは森鷗外さんの医師としての評価を傷つけた。
とくに日露戦争においては25万の将兵が脚気を発症し、3万近い死者が出た。
それで、
これに対して北里柴三郎さんはめちゃくちゃ批判した。
この2人が批判しあうのはそもそもお互いの師匠も批判しあう間柄だから
自然と考えが合わないのかもしれません。
そうやって競うようにやってきたから今の医療がここまで来たんだと思うとやはりこういった昔の偉人たちはスゴイとおもいます!!
昔の偉人の医療に対する熱量に感謝します。
まとめ
『師弟関係』
『パートナー扱いされた、共同受賞がなかった、差別』
『ドイツ留学の先輩後輩』
最後までお読みいただきありがとうございました。
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